ABCDFGHIJKLMNOQTVWXYZ 2.「アート・フォー・ヒューマン」とは何か
世界は物語で成り立っていると言われます。「なぜ物語なのでしょう。(中略)なぜなら、この世界はクレイジーで混沌としたような場所だからで、物語はその世界に意味をつくろうとします」[19]とトレーシー・シュヴァリエは語ります。物語は大別して2つあります。神話と歴史です。神話は神々のストーリー、歴史は人間のストーリーです。神話は神々を中心にして語られ、歴史は人間を中心にして語られます。人間を中心に世界を捉えることを、人間中心主義 (Anthrocopocentrism)と言います。これはとりわけ近代以降の動向であり、近代以降のアートはこの人間中心主義と歴史を基盤にしています。このようなアートを、ここでは「アート・フォー・ヒューマン」と呼びます。
人類と環境のコンフリクション
これは、手前にある回転式のアームゲートを人が通過すると、会場中央の二本の柱が少しずつ両側の壁を押すという仕組みの作品です。この中に人が入れば入るほど、壁に圧力がかかり、最終的には壁が破壊されるようにつくられています。アートは大衆化することで、より多くの人々がアクセス可能になりました。一般的には、かつては関係がなかった人々が関係することでその業界は活性化します。しかし一方で、その大衆化に伴い囁かれるのが、「アートの乱用」です(1916年の「美術館疲れ(Museum Fatigue)」[22]ならぬ「アートフェア疲れ(Fairtigue)」は、とりわけ2010年代になってしばしば言及されています。ジャックス・バーゾンは1975年の『アートの使用と乱用』の中で、「最近は、見たり聞いたりするためのものは何でも、カジュアルに理解されるという意味でのみ飾られている」[23]と述べています)。美術館の中に設置されたこの作品は、来場者の増加が美術館の崩壊につながるという「インスティテューショナル・クリティーク(制度批判)」としてみなすことができます。
介入と不寛容の臨界
これは、挑発的かつ不可解な姿をしたシグネ・ピエスが、(「徹底的に保守派」[24]で「街角毎に教会があり、ひとつおきの街角毎にストリップクラブがある」[25]サウスカロライナ州マートル・ビーチの)繁華街を歩く作品です。2013年に行われ、2015年にYoutubeで公開(2019年現在再生回数は170万超)されたことにより、多くの議論を呼びました。アリー・コーツはこう述べています。「NYC(ニューヨークシティー)のためにNYCでアートをつくることは聖歌隊に説教するような気が時々した。だからその共鳴室から出たかった。私たちは女性であることと固定観念を取り扱ういくつかのビデオアート作品をつくってきたし、それらのテーマを現実世界に持ち込みたかった」[26]。しかしこの介入は、「NYCの外」の人々から不寛容を、さらには暴力を浴びせられることとなります。
ラベンダーが放つ世界の終わり
これは、ニューヨークのトランプタワーに程近い展覧会場内に7トンの土を入れ、200本のラベンダーを育てるという作品です(会場のライトとツイッターが、シングルボードコンピュータ・Raspberry Piによって連動しています)。政治的に保守的な政策を作る人たち(@POTUSや@realDonaldTrumpなど)のツイート数(リツイート含む)が増えることで植物用のライトの光量が強くなり、ラベンダーの育成を促すという仕組みです。抗不安剤として使われるラベンダーがより育つことは、社会不安が増大している現実社会を反照既定的に物語っています。さらに、その不可解なタイトルは、未来に解読されることを想定した歴史的記録のようにも読めます(マーティン・ロスの作品ではすべて、そのとき行った行為の記述と、その時の年号と月がタイトルに記されています。それらの多くは、人間ではない動物や植物などを取り入れてつくられています)。
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「他者の貢献に生きる命にのみ、生きる価値がある。」
ー アルバート・アインシュタイン
「アート・フォー・ヒューマン」は主に、政治的、経済的、社会的なシステムと関わっています。誰が、いつ、どこで、何を、どうするか。そしてそれがどのような影響をもたらしたのか。この一連の動きは、人間を中心にした世界の中で行われます。前述したマネも、「アート・フォー・ヒューマン」に属しています。マネという画家が1862年にパリで『草上の昼食』を描いた。その絵は、それまでの価値観を覆し、1963年にスキャンダルとなった。その結果、マネは近代絵画という歴史的に見て全く新しい流れ、そして市場価値(2013年ユエ・ミンジュンの『草上の昼食』が150万ドルで落札[20]、2017年マネの『春』が6510万ドルで落札[21]されたことを鑑みると、マネの『草上の昼食』は、それを遥かに凌ぐことが予想されます)を生んだ。このような流れがアートヒストリーとなり、後世に語り継がれ、その影響下でその後のアートは展開していきます。アートヒストリーはしばしば、マネ以降を「モダン・アート」、そしてデュシャン以降を「コンテンポラリー・アート」と分類します。しかし、この2つは今後、さらに大きなカテゴリー、「アート・フォー・ヒューマン」に属されるかもしれません(近代以前のアートは「アート・フォー・ゴッド(神のためのアート)」、「アート・フォー・キング(王のためのアート)」となるでしょうか)。このような視点から「アート・フォー・ヒューマン」についてみていきます。
まずは、ライフルで撃たれる映像作品『Shoot』(1971年)で知られるアーティスト、クリス・バーデンを取り上げます。
クリス・バーデン『サムソン』(1985年)

Samson, 1985, by Chris Burden
https://www.zinzin.com/observations/2012/like-a-glacier-samson-1981-by-chris-burden/
『サムソン』はさらに、アートへの制度批判を超えて、人口増加による地球環境の激変を指摘する、人類と環境のコンフリクション(対立や衝突、葛藤や緊張)を問題視していると言えるのではないでしょうか。人が増えれば増えるほど、環境は厳しいものになっていくという進歩主義への警鐘と見て取ることもできます。このゲートのサイズを考慮すれば、このような指摘は、犬や猫、キリンやクジラではなく、人間に向けられていることがわかります。『サムソン』のアームゲートが「アクセル」になるのか、「ブレーキ」になるのか。その選択は、この作品を前にした来場者に委ねられています。
シグネ・ピエス、アリー・コーツ『アメリカン・リフレックス』(2015年)

AMERICAN REFLEXXX, 2015 by Signe Pierce, Alli Coates
http://www.americanreflexxx.com
そもそも、寛容なアートワールドで行われるアートと不寛容なリアルワールドで行われるアートでは、その反応が異なります。前者では建設的な議論、後者では非建設的な態度(1974年ソヴィエト時代に行われた「ブルドーザー・エキシビション」への態度[27]、2015年ベルサイユ宮殿で展示されたアニッシュ・カプーアの作品への態度[28]、2017年ドクメンタで発表されたアボバカ・フォフォナの作品への態度[29]など)が採用されます。『アメリカン・リフレックス』の現場の人々にもし「アートマインド」があれば、実力行使という結末には至らなかったのではないかという仮定は、前者の主張にすぎません。後者には後者のマインドがあり、その主張を態度にした。それが世界です。西田幾多郎は、次のように述べています。「弁証法に於いては、対立が即綜合、綜合が即対立と云うことであり、対立なくして綜合はないが、綜合なくして対立もない。(中略)無限の過去と未来とがどこまでも相互否定的に結合する絶対矛盾的自己同一的現在に於いては、それはイデア的と云うことができる。(中略)綜合は対立を否定する綜合ではない。故にそれは又矛盾的自己同一として、自己矛盾的に動き行くのである」[30]。介入と不寛容の臨界は至る所で散見されます。この臨界は、古代中国思想における陰陽そのものであり、それこそが絶対矛盾的自己同一であるとして受け留めるべきなのかもしれません。
マーティン・ロス
『2017年私はツイートによって育てられた土地の作品をマンハッタンで耕した』(2017年)

In May 2017 I cultivated a piece of land in Midtown Manhattan nurtured by tweets, 2017 by Martin Roth
http://martinroth.at/en/i-cultivated-a-piece-of-land-in-midtown-manhattan-nurtured-by-tweets/
クレア・ヴーンはHYPERALLERGICに寄稿したテキスト[31]の冒頭で、「とても奇妙な何かが今、マンハッタンのミッドタウンで育っている」と書いています。そして、「窓のないコンクリート空間は閉所恐怖症的でもあり、世界の終わりを観測する地下室(a doomsday bunker)を思い起こさせる」と。かつてこのようなラベンダーは地球上に存在したでしょうか。この例外的で異質なラベンダーが放つ世界の終わりは、今の私たちに何をもたらすのでしょうか。
以上、「アート・フォー・ヒューマン」についてみてきました。全体的な印象として、どこか不穏な感覚を抱かれたかもしれません(その不穏さは現代社会を映し出しているのかもしれません)。「アート・アフター・ヒューマン」もまた、心穏やかではいられない世界のアートなのでしょうか。
次に、「アート・アフター・ヒューマン」という視点から「アートマインド」をみていきます。
[19] https://www.ted.com/talks/tracy_chevalier_finding_the_story_inside_the_painting
[20] https://jingdaily.com/chinese-contemporary-prices-soar-at-christies-hong-kong/
[21] https://news.artnet.com/market/65-million-manet-leads-at-christies-165-million-imp-mod-sale-155456
[22] Gilman, Benjamin Ives, Museum Fatigue, The Scientific Monthly Vol. 2, No. 1 (Boston, American
Association for the Advancement of Science, 1916).
[23] Jacques Barzun, The Use and Abuse of Art (Prinston: Princeton University Press, 1974).
[24] [25] [26] http://www.artnews.com/2015/05/04/we-didnt-set-out-to-make-a-piece-about-
dehumanization-mob-mentality-or-violence-alli-coates-and-signe-pierce-talk-american- reflexxx/
[27] https://www.nytimes.com/1974/09/16/archives/russians-disrupt-modern-art-show-with-bulldozers-
unofficial-outside.html
[28] https://www.theguardian.com/world/2015/sep/07/anish-kapoor-queens-vagina-sculpture-at-versailles-
vandalised-again
[29] https://www.artforum.com/news/artist-s-studio-vandalized-by-animal-rights-group-angered-by-
documenta-14-work-68930
[30] 西田幾多郎 (1939) 『哲学論文集第三』岩波書店
[31] https://hyperallergic.com/379626/a-field-of-lavender-nourished-by-trumps-tweets/
3.「アート・アフター・ヒューマン」とは何か
1.「アートマインド」とは何か